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zoom RSS 【神奈中、湘南神奈交】二宮駅

<<   作成日時 : 2014/07/13 14:00   >>

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 神奈川県中郡二宮町二宮に所在するJR東海道本線の駅だ。橋上駅舎で、みどりの窓口や売店がある。東京から73.1kmとやや遠いものの、横浜から44.3kmなので通勤通学客で賑わう。二宮には「おはようライナー新宿」「湘南ライナー」「ホームライナー小田原」が停車する。二宮始発東京行の普通列車も設定されている。棒線の非運転取扱駅で、貨物扱所跡地は昭和54年の東海道本線の客貨分離時に貨物線として活用された。旅客線の上り線と貨物線の下り線の広い線間は、横取装置による保守基地となっている。
 バスは南口と北口の両側に、神奈川中央交通と湘南神奈交バスが発着する。南口は平塚駅北口から国府津駅方面、比奈窪・高尾方面など、国道1号線を走る路線が発着する。休日のみ平44・平塚駅北口発小田原駅行が1本運行されている。折返しは平45・小田原駅発小田原町経由平塚駅北口行となる。
 北口は平成25年3月に暫定広場が完成した。ロータリーにはバス2台分の待機場がある。二宮団地、秦野駅南口、橘団地方面の路線が発着する。駅入口付近の道路が狭い。
画像←二宮駅北口。神奈中の二36・二宮団地南循環、後方は湘南神奈交バスの神11・湘南緑が丘行

■ガラスのうさぎ像
 南口のロータリーには、永遠の平和を願う人々の浄財によって、昭和56年に「ガラスのうさぎ像」が建立された。隣の碑文には「太平洋戦争終結直前の昭和二十年八月五日、ここ(国鉄)二宮駅周辺には艦載機P51の機銃掃射を受け、幾人かの尊い生命がその犠牲となりました。この時、目の前で父を失った12歳の少女が、その悲しみを乗り越え、けなげに生き抜く姿を描いた戦争体験記「ガラスのうさぎ」(高木敏子さん著)は国民の心に深い感動を呼び起こし、戦争の悲惨さを強く印象づけました。この像は、私たち二宮町民が平和の尊さを後世に伝えるために、また少女を優しく励ました人たちの友情をたたえるために、多くの方々のご協力をいただき建てたものです。 少女が胸に抱えているのは、父の形見となったガラスのうさぎです ここに平和と友情よ永遠に 昭和五十六年八月五日 『ガラスのうさぎ』像を二宮駅に建てる会」と記されている。
 「ガラスのうさぎ」の本は、小学生の時に読んだことがある。映画やアニメも制作されており、本のあらすじについては割愛する。
画像←南口の「ガラスのうさぎ像」

画像←「ガラスのうさぎ像」と平塚駅北口行

■湘南軌道
 現在の二宮駅は単なる中間駅だが、70年以上前には秦野を結ぶ軽便鉄道の湘南軌道が発着していた。湘南軌道の旧本社社屋は薬局となって現存している。外壁は貼り替えられているものの、特徴ある洋館の窓枠が残っている。
画像←今も残る旧湘南軌道の本社社屋

画像←旧本社社屋と手前に「湘南軽便駐輪場」の看板が鉄道の歴史を伝えている

画像←石碑

 本社社屋の手前には「湘南軽便駐輪場」の看板があり、鉄道なき今でも生き続けている。隣接する二宮町ITふれあい館の玄関に石碑が立っている石碑には下記の通りに記載されている。
軽便鉄道・二宮駅跡
馬車鉄道・軽便鉄道・湘南軌道の沿革
 通称「けいべん」は、明治39年(1906年)に湘南馬車鉄道株式会社が吾妻村(現在二宮町二宮)〜井ノ口村(現在中井町井ノ口)〜秦野町(現在秦野市本町3丁目)間の道路9.6kmに幅二尺五寸(762mm)の軌道を敷設した馬車鉄道の運行が始まりとなっています。
 馬車鉄道は一頭の馬が小さな客車、または貨車を引くものでしたが、大正2年(1913年)には動力を馬から無煙炭燃料汽動車(蒸気機関車)に代え、社名も湘南軽便鉄道株式会社とし、運転を開始しました。当時の沿線は、わら葺屋根の民家がほとんどで火の粉の飛散を防ぐため、独自に開発したラッキョウ型の煙突を付けた機関車が、客車や貨車を牽引していました。
 二宮駅からの乗客は、大山への参拝者が多く、シーズンになると駅は活気にあふれ、貨物ホームには葉たばこ、落花生、雑穀、肥料などがうず高く積まれていました。
 特に二宮特産の落花生は、全国に名が知られていました。二宮駅は、東海道線と軽便鉄道の乗り換え地点で、乗継切符が販売されていました。
 石碑の北側には、湘南軌道株式会社「二宮駅」の上屋が、今でも当時の面影を残しています。二宮にはこのほか中里停留所、一色停留所が有りました。
 その後、軽便鉄道は、大正7年(1918年)には湘南軌道株式会社へ軌道特許権が譲渡され、大正10年(1921年)に秦野自動車株式会社が秦野〜二宮間の営業を開始、大正12年(1923年)の関東大震災による軌道の損害、、昭和2年(1927年)の小田急開通などにより鉄道の経営が厳しくなり、昭和8年(1933年)に旅客運輸を、昭和10年(1935年)には軌道全線の営業を休止し、昭和12年(1937年)に軌道運輸事業を廃止しました。
 明治、大正、昭和の時代を走り続けた「けいべん」は100年の時を経て、今も人々の胸の中に生き続けています。私たちは今、この地点に立ち、当時、勇姿に走っていた「けいべん」に思いを馳せ、後世に歴史を継承します。
軽便鉄道100周年記念
秦野市、中井町、二宮町 軽便鉄道歴史継承事業委員会 平成18年(2008年)

 二宮をはじめ秦野、 台町、大竹、上井ノ口、下井ノ口、一色、中里の各駅跡地にも同様の石碑が立っている。また、ところどころに「軽便みち」の標柱も建立されている。平成26年になって、日本たばこ産業(JT)ホームページのたばこを運んだ小さな汽車で、湘南軌道について紹介していることは特筆に値しよう。
 なお、秦野自動車は神奈川中央交通の前身。現在の秦60(秦野駅南口〜西大竹〜下井ノ口〜団地中央〜二宮駅北口)となっている。秦91(秦野駅南口〜南が丘公園前〜下井ノ口〜団地中央〜二宮駅北口)とともに利用者が多く、大型車を使用する。ただし、通し利用は少なく、二宮駅寄りと秦野駅寄りに分かれている。県道71号・秦野二宮線を走る路線は、伊勢原営業所秦野操車所をメインに、湘南神奈交バス秦野営業所が担当している(秦野操車所は湘南神奈交バス秦野営業所に管理委託)。二宮駅北口〜二宮団地循環などは湘南神奈交バス秦野営業所の中型車を使用している。

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