【国際興業バス】森河原
■天目指峠
名栗線(飯能駅~東飯能駅~原市場~名栗車庫~名郷~湯の沢)の通る県道53号・青梅秩父線に、森河原という停留所がある。森河原は吾野から天目指峠(あまめざすとうげ)を経由する埼玉県道395号・南川上名栗線が合流する。名栗車庫から名郷・湯の沢方面へ2つ先の何の変哲もない停留所だが、かつては吾野駅からの西武バスが、天目指峠を通って森河原で折り返していたのだ。県道395号線は昭和29年度から着工し、35年3月に全通した。天目指峠は標高475mで、「アマメ」は豆柿、「ザス」は焼畑を意味している。天を目指す峠ではないものの、天のように高い所を通る。国際興業ファンに有名な「間野黒指」も同様の意味である。
「文化新聞」によると、西武自動車(昭和44年4月1日に西武バスへ改称)は昭和34年12月12日に吾野駅~天目指峠入口間3往復の運行を開始した。路線認可にあたって、西武鉄道が鳥居橋改修工事の費用として30万円の指定寄附を行なったという。県道の全通後、昭和37年8月1日に森河原まで延伸し、5往復を運行した。また、同日には国際興業も観世音センター~森河原~天目指峠入口間に6往復を新設した。つまり、森河原~天目指峠入口間は2社が相互乗り入れを行っていたことになる。また、天目指峠入口停留所は上久通林道が分岐する付近にあり、両社の区間便どうしで接続を図っていたという。西武自動車、国際興業とも奥武蔵県立自然公園への行楽客を目当てに路線拡大に熱心だったことが窺える。
「全国バス路線便覧・昭和39年版」(昭和39年6月、全国旅客自動車要覧編集室発行)によると、昭和38年3月31日現在で西武自動車は吾野駅~山崎~天目指峠~森河原間(12.1㎞)に5往復、区間便の吾野駅~山崎~天目指峠入口間(8.1㎞)に2往復、国際興業は観世音センター~名栗~天目指峠入口間(6.1㎞)に6往復運行されていた。
「バス時間表・第3号」(昭和39年7月、弘済出版社発行)によると、昭和39年6月1日現在の吾野駅発の時刻は、6:00(天目指峠入口止)、 6:40、 8:35 、11:35 、13:35、 16:35、 18:35(天目指峠入口止)で、行楽客だけでなく通院通学利用を踏まえたダイヤとなっている。
その後、「埼玉県市町村誌・第5巻」(昭和49年3月、埼玉県教育委員会発行)と「埼玉県市町村誌・第7巻」(昭和50年3月、埼玉県教育委員会発行)によると、昭和45年1月1日現在で西武バスが吾野駅~天目指峠~森河原間に休日のみ3往復、吾野駅~花堂~天目指峠入口間に5往復(毎日運行)となっている。一方、国際興業は名栗車庫~天目指峠展望台~天目指峠入口間に短縮のうえ季節運行となり、3月16日から11月30日までの3往復に縮小されている。
天目指峠乗り入れ路線の廃止時期は分からないが、西武バスは昭和50年3月に青梅市山間部の路線を都営バスへ移管するなど、大規模な再編を行っているので、吾野駅発着路線もほぼ同じ頃に廃止となったと思われる。当時は首都圏近郊で団地路線の新設や増発が続いており、清瀬や滝山、所沢、狭山などの営業所に要員をシフトする狙いもあったと思われる。正丸線については、西武秩父駅~松枝~正丸峠~ガーデンハウス前~正丸駅に短縮されたのち、現在は松枝までに短縮されている。「西武鉄道時刻表・創刊号」(昭和54年10月発行)に、吾野駅発着に乗り入れ路線は掲載されていない。
「名栗の歴史・下」(平成22年3月、飯能市教育委員会発行)によると、国際興業は昭和45年4月1日に飯能駅~湯の沢系統を開通しており(名栗車庫~山伏口系統廃止の記述はなし)、その頃ではないかと思われる。
■吾野駅
前置きが長くなったが、ストリートビューで県道395号線を眺めながら、当時を偲んでみることにしたい。もちろん自動車や二輪車、自転車で実際に走行してみるのが一番だ。当時よりも路面やガードレールの設置などで改良されていても(バス運行当時は未舗装だったと思われる)、景色はそれほど変化していないはずだ。
起点側となる吾野駅は、西武池袋線の終点であり、西武秩父線の起点でもある。池袋から飯能を経て吾野までが西武池袋線だが、運用上は飯能~西武秩父間となっている。飯能~吾野間の折り返し電車は、最終の吾野行と初電の吾野発のみとなっている。
西武秩父寄りに西武建材吾野鉱業所があり、かつては貨物列車で砕石輸送を行っていたが、昭和53年にトラック輸送へ転換されて廃止された。現在も積み出し設備(ホッパー)は使用されており、線路跡をダンプカーが走行している。山の上からベルトコンベアで下ろしている。積み出し設備は昭和4年の開通当時に建てられたが、上にも新しく増築されている。西武グループはもとより、コンクリートの需要がなくなることはない。線路のバラストにも使用されているようだ。構内には貨物用の側線が残っているが、一部を除いて本線と繋がっていない。留置する電車は本線に留置か、側線に引き上げるのか?
吾野は吾野宿として、秩父往還の宿場町として発展してきた。現在でも古民家が並んでおり、平成23年度に埼玉県景観モデル地区に指定された。平成27年3月に国道299号に吾野トンネル(全長567m)が開通し、吾野駅の下を通る狭くてカーブが連続する、旧道を通る車が大幅に減少したので歩きやすくなった。
吾野駅に隣接して、西武バスの吾野車庫が置かれていた。西武秩父線の開通前は、吾野駅~森河原のほかにも飯能駅~高麗駅~東吾野駅~吾野駅や、吾野駅~正丸峠~秩父駅間の路線が運行されていた。西武秩父線開通後は秩父駅系統は正丸駅で分断された。飯能駅~吾野駅を結ぶ路線は、吾野宿の街並みを通っていた。吾野車庫の施設は全て解体されてしまい、運行当時の痕跡を探すことはできない。
↑吾野駅。駅前にバス運行当時の名残りはない
↑鉄道ファンには有名な積み出し設備
↑吾野宿の道標
↑吾野宿の街並み。昭和40年代まで西武バスが運行していた
吾野駅を出発した森河原行は、国道299号線を秩父方向に進んでいた。末期は西武秩父線が並行し、西吾野駅の近くを通過していたが、開通前は建設工事中の光景が見られたと思う。南川で県道395号線へ左折すると、1㎞ほどで人家が途切れる。県道395号線はヘアピンカーブが連続なうえ、すれ違いの困難な隘路が続く。運転手のハンドル捌きは見事だったというほかはない。今の技術であれば、長大トンネルで抜けてしまうだろう。天目指峠を見る限り、標識と東屋があるぐらいだ。天目指峠を過ぎると、山深い場所ながらも住宅が点在し、当然のことながら電線もあり、生活道路として重要な役割を担っている。
しかし、地形の悪さゆえに、運行当時から落石や土砂崩れにも悩ませられたと思う。斜面は落石防止網で覆われている。令和元年10月の台風19号で土砂崩れがあり、撮影日は森河原寄りの喫茶&ギャラリー「名栗の杜」付近で路肩復旧工事が行われており、大型車両通行止となっていた。路肩の下には倒木が根こそぎ横たわっていた。
西武バスは森河原のどこで折り返していたのであろうか。廃止から40年以上経っており、折返し場の痕跡は残っていない。森河原停留所付近に空き地が数カ所あるので、そのどこかを使用していたのか。近くによろず屋があり、入間川の入漁券を販売している。折返し待ちの時間に、軒先では店の人と運転手、車掌が雑談していた光景が想像できる。飯能駅〜森河原〜吾野駅と乗り継いでみたかった。
↑森河原の飯能駅方面のポール。奥が県道395号線
↑県道53号線を名郷発の飯能駅行が通過
↑昔ながらのよろず屋
↑県道395号線は路肩の復旧工事中
↑路肩が崩れていた
↑名栗線にはノンステップバスも運用される。写真は「5154」は平成19年式のいすゞPJ-LV234L1で、平成31年に西浦和営業所から転入。登録番号は「大宮200 か 15-76」から変更された(名栗車庫)
名栗線(飯能駅~東飯能駅~原市場~名栗車庫~名郷~湯の沢)の通る県道53号・青梅秩父線に、森河原という停留所がある。森河原は吾野から天目指峠(あまめざすとうげ)を経由する埼玉県道395号・南川上名栗線が合流する。名栗車庫から名郷・湯の沢方面へ2つ先の何の変哲もない停留所だが、かつては吾野駅からの西武バスが、天目指峠を通って森河原で折り返していたのだ。県道395号線は昭和29年度から着工し、35年3月に全通した。天目指峠は標高475mで、「アマメ」は豆柿、「ザス」は焼畑を意味している。天を目指す峠ではないものの、天のように高い所を通る。国際興業ファンに有名な「間野黒指」も同様の意味である。
「文化新聞」によると、西武自動車(昭和44年4月1日に西武バスへ改称)は昭和34年12月12日に吾野駅~天目指峠入口間3往復の運行を開始した。路線認可にあたって、西武鉄道が鳥居橋改修工事の費用として30万円の指定寄附を行なったという。県道の全通後、昭和37年8月1日に森河原まで延伸し、5往復を運行した。また、同日には国際興業も観世音センター~森河原~天目指峠入口間に6往復を新設した。つまり、森河原~天目指峠入口間は2社が相互乗り入れを行っていたことになる。また、天目指峠入口停留所は上久通林道が分岐する付近にあり、両社の区間便どうしで接続を図っていたという。西武自動車、国際興業とも奥武蔵県立自然公園への行楽客を目当てに路線拡大に熱心だったことが窺える。
「全国バス路線便覧・昭和39年版」(昭和39年6月、全国旅客自動車要覧編集室発行)によると、昭和38年3月31日現在で西武自動車は吾野駅~山崎~天目指峠~森河原間(12.1㎞)に5往復、区間便の吾野駅~山崎~天目指峠入口間(8.1㎞)に2往復、国際興業は観世音センター~名栗~天目指峠入口間(6.1㎞)に6往復運行されていた。
「バス時間表・第3号」(昭和39年7月、弘済出版社発行)によると、昭和39年6月1日現在の吾野駅発の時刻は、6:00(天目指峠入口止)、 6:40、 8:35 、11:35 、13:35、 16:35、 18:35(天目指峠入口止)で、行楽客だけでなく通院通学利用を踏まえたダイヤとなっている。
その後、「埼玉県市町村誌・第5巻」(昭和49年3月、埼玉県教育委員会発行)と「埼玉県市町村誌・第7巻」(昭和50年3月、埼玉県教育委員会発行)によると、昭和45年1月1日現在で西武バスが吾野駅~天目指峠~森河原間に休日のみ3往復、吾野駅~花堂~天目指峠入口間に5往復(毎日運行)となっている。一方、国際興業は名栗車庫~天目指峠展望台~天目指峠入口間に短縮のうえ季節運行となり、3月16日から11月30日までの3往復に縮小されている。
天目指峠乗り入れ路線の廃止時期は分からないが、西武バスは昭和50年3月に青梅市山間部の路線を都営バスへ移管するなど、大規模な再編を行っているので、吾野駅発着路線もほぼ同じ頃に廃止となったと思われる。当時は首都圏近郊で団地路線の新設や増発が続いており、清瀬や滝山、所沢、狭山などの営業所に要員をシフトする狙いもあったと思われる。正丸線については、西武秩父駅~松枝~正丸峠~ガーデンハウス前~正丸駅に短縮されたのち、現在は松枝までに短縮されている。「西武鉄道時刻表・創刊号」(昭和54年10月発行)に、吾野駅発着に乗り入れ路線は掲載されていない。
「名栗の歴史・下」(平成22年3月、飯能市教育委員会発行)によると、国際興業は昭和45年4月1日に飯能駅~湯の沢系統を開通しており(名栗車庫~山伏口系統廃止の記述はなし)、その頃ではないかと思われる。
■吾野駅
前置きが長くなったが、ストリートビューで県道395号線を眺めながら、当時を偲んでみることにしたい。もちろん自動車や二輪車、自転車で実際に走行してみるのが一番だ。当時よりも路面やガードレールの設置などで改良されていても(バス運行当時は未舗装だったと思われる)、景色はそれほど変化していないはずだ。
起点側となる吾野駅は、西武池袋線の終点であり、西武秩父線の起点でもある。池袋から飯能を経て吾野までが西武池袋線だが、運用上は飯能~西武秩父間となっている。飯能~吾野間の折り返し電車は、最終の吾野行と初電の吾野発のみとなっている。
西武秩父寄りに西武建材吾野鉱業所があり、かつては貨物列車で砕石輸送を行っていたが、昭和53年にトラック輸送へ転換されて廃止された。現在も積み出し設備(ホッパー)は使用されており、線路跡をダンプカーが走行している。山の上からベルトコンベアで下ろしている。積み出し設備は昭和4年の開通当時に建てられたが、上にも新しく増築されている。西武グループはもとより、コンクリートの需要がなくなることはない。線路のバラストにも使用されているようだ。構内には貨物用の側線が残っているが、一部を除いて本線と繋がっていない。留置する電車は本線に留置か、側線に引き上げるのか?
吾野は吾野宿として、秩父往還の宿場町として発展してきた。現在でも古民家が並んでおり、平成23年度に埼玉県景観モデル地区に指定された。平成27年3月に国道299号に吾野トンネル(全長567m)が開通し、吾野駅の下を通る狭くてカーブが連続する、旧道を通る車が大幅に減少したので歩きやすくなった。
吾野駅に隣接して、西武バスの吾野車庫が置かれていた。西武秩父線の開通前は、吾野駅~森河原のほかにも飯能駅~高麗駅~東吾野駅~吾野駅や、吾野駅~正丸峠~秩父駅間の路線が運行されていた。西武秩父線開通後は秩父駅系統は正丸駅で分断された。飯能駅~吾野駅を結ぶ路線は、吾野宿の街並みを通っていた。吾野車庫の施設は全て解体されてしまい、運行当時の痕跡を探すことはできない。
吾野駅を出発した森河原行は、国道299号線を秩父方向に進んでいた。末期は西武秩父線が並行し、西吾野駅の近くを通過していたが、開通前は建設工事中の光景が見られたと思う。南川で県道395号線へ左折すると、1㎞ほどで人家が途切れる。県道395号線はヘアピンカーブが連続なうえ、すれ違いの困難な隘路が続く。運転手のハンドル捌きは見事だったというほかはない。今の技術であれば、長大トンネルで抜けてしまうだろう。天目指峠を見る限り、標識と東屋があるぐらいだ。天目指峠を過ぎると、山深い場所ながらも住宅が点在し、当然のことながら電線もあり、生活道路として重要な役割を担っている。
しかし、地形の悪さゆえに、運行当時から落石や土砂崩れにも悩ませられたと思う。斜面は落石防止網で覆われている。令和元年10月の台風19号で土砂崩れがあり、撮影日は森河原寄りの喫茶&ギャラリー「名栗の杜」付近で路肩復旧工事が行われており、大型車両通行止となっていた。路肩の下には倒木が根こそぎ横たわっていた。
西武バスは森河原のどこで折り返していたのであろうか。廃止から40年以上経っており、折返し場の痕跡は残っていない。森河原停留所付近に空き地が数カ所あるので、そのどこかを使用していたのか。近くによろず屋があり、入間川の入漁券を販売している。折返し待ちの時間に、軒先では店の人と運転手、車掌が雑談していた光景が想像できる。飯能駅〜森河原〜吾野駅と乗り継いでみたかった。
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