【小湊鐵道、HMC東京】市野々
小湊鐵道の茂原大多喜線(茂原駅南口~上永吉~給田~市野々~大多喜車庫)とHMC東京の大多喜線(茂原駅~上永吉~給田~市野々~大多喜駅)の途中停留所。ポールの色は旧・都自動車仕様で、茂原駅方面のみに設置されている。停留所には待合所がある。
停留所脇の「旧大多喜街道」(237m)は長南町指定文化財で、入口に案内板が立っている。現在の県道27号・茂原大多喜線の旧道だ(もっとも、切り替わったのは明治時代だが)。
←ポールは旧・都自動車カラー。平成23年4月1日からHMC東京に移管された
←待合所
←旧大多喜街道の案内板
さて、市野々では平成12年7月11日まで、市野々線(長南営業所~茗荷沢~市野々)が折り返していた。かつては茂原駅からの直通もあったが、末期は区間運行が平日のみ1往復で、休日運休だった。長南営業所で茂原駅方面と接続を図っていた。なお、茗荷沢~市野々間は自由乗降区間となっていた。
市野々のポールは市野々線廃止後に交換されたため、当時の面影は残っていない。停留所から少し大多喜寄りに進んだところに、砂利敷きの折返し場があった。廃止後の平成16年3月から運行開始した長南町巡回バス西地区コース(長南車庫~茗荷沢十字路~三川~市野々下~長南車庫)の市野々下停留所が設置されている。当時は「バス折返し場につき、一般車進入禁止」の看板が設置されていたと思われる。今も空地として残っている。
←今も空き地として残る折返し場。最寄りは長南町巡回バスの市野々下停留所
茂原市内や長南町の停留所に、市野々線運行当時の名残りがあったが、最近相次いでポールが交換されてしまった。今や茂原車庫前に残る「茂原営業所前」の白百合形ポール、三川線の茗荷沢坂下停留所の円盤(「市野々・三川-長南-茂原」と薄く記載)、長南営業所の待合室の掲示物ぐらいであろう。
長南営業所に所属している「袖ヶ浦200 か 867」(三菱KC-MP317M、平成22年転入)には、「長南経由市野々」の方向幕が残っている。茂原駅始発用で、「市野々」だけの幕はない。「袖ヶ浦200 か 143」(いすゞP-LV314L、平成12年転入、16年廃車)、「袖ヶ浦200 か 416」(三菱U-MP218M、平成16年転入、21年廃車)→「袖ヶ浦200 か 500」(いすゞU-LV324L、平成21年転入、平成22年廃車)の順に流用されている。
←三菱KC-MP317Mに残る「長南経由市野々」の方向幕
停留所脇の「旧大多喜街道」(237m)は長南町指定文化財で、入口に案内板が立っている。現在の県道27号・茂原大多喜線の旧道だ(もっとも、切り替わったのは明治時代だが)。
さて、市野々では平成12年7月11日まで、市野々線(長南営業所~茗荷沢~市野々)が折り返していた。かつては茂原駅からの直通もあったが、末期は区間運行が平日のみ1往復で、休日運休だった。長南営業所で茂原駅方面と接続を図っていた。なお、茗荷沢~市野々間は自由乗降区間となっていた。
市野々のポールは市野々線廃止後に交換されたため、当時の面影は残っていない。停留所から少し大多喜寄りに進んだところに、砂利敷きの折返し場があった。廃止後の平成16年3月から運行開始した長南町巡回バス西地区コース(長南車庫~茗荷沢十字路~三川~市野々下~長南車庫)の市野々下停留所が設置されている。当時は「バス折返し場につき、一般車進入禁止」の看板が設置されていたと思われる。今も空地として残っている。
茂原市内や長南町の停留所に、市野々線運行当時の名残りがあったが、最近相次いでポールが交換されてしまった。今や茂原車庫前に残る「茂原営業所前」の白百合形ポール、三川線の茗荷沢坂下停留所の円盤(「市野々・三川-長南-茂原」と薄く記載)、長南営業所の待合室の掲示物ぐらいであろう。
長南営業所に所属している「袖ヶ浦200 か 867」(三菱KC-MP317M、平成22年転入)には、「長南経由市野々」の方向幕が残っている。茂原駅始発用で、「市野々」だけの幕はない。「袖ヶ浦200 か 143」(いすゞP-LV314L、平成12年転入、16年廃車)、「袖ヶ浦200 か 416」(三菱U-MP218M、平成16年転入、21年廃車)→「袖ヶ浦200 か 500」(いすゞU-LV324L、平成21年転入、平成22年廃車)の順に流用されている。
この記事へのコメント
早く見たいです。
ありがとうございました。
ご推測の通り、快速大多喜行は京成千葉駅~国鉄千葉駅そごう~浜野~追分~針ヶ谷~長南車庫~市野々~大多喜営業所のルートだったようです。昭和60年当時は千葉中央駅発17:05と18:05でした、
昭和末期には廃止されていたようで、平成2年の時点では、八幡宿駅・牛久駅経由のみでした。
市野々行きのパスですが、市野々上のバス停で、
バス停を囲むようになっているすぐ脇の旧道(砂利道)を利用して折り返していたように思いますが・・・。
もちろんツーマンバス時代は、市野々のY字交差点で折り返していたのでしょうけど・・・。
ちょっと記憶に基づいて、コメントしました。失礼いたしました。