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zoom RSS 【船橋新京成バス】習志野原を走るバスの変遷

<<   作成日時 : 2014/11/21 08:40   >>

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 身の上話で恐縮だが、小生は昭和54年から30年余りにわたって船橋市に住み、新京成バスは通学、通勤、買い物に欠かせない足だった。当時はツーマンバスが残っており、中扉の後ろに乗っている車掌さんの「発車オーライ」「次、願います」と言っている姿が格好良く見えたものだった。やがて月日は流れ、マイカーを購入したり、東葉高速鉄道が開業するとバスを利用する機会が減少したが、今度は趣味の面から見るようになった。2年前に船橋市を離れたが、今でも懐かしくなり、時間を見つけては時々乗車している。
 前置きが長くなったが、習志野新京成バス発足後に登場したオリジナルカラーの車両の変遷について書いてみたい。
 平成26年7月に撮影した船橋新京成バス習志野営業所と、平成20年3月に撮影した習志野新京成バス習志野営業所の車両を比べてみた。車種が変わったほか、平成16年に導入された車両からボディカラーが変更されたこともあり、同じ営業所とは思えない車両のラインナップだ。新京成電鉄自動車部当時の平成元年以降に導入された「赤バスカラー」の大型車はすでに消滅し、中型車のみとなっている。
画像←赤バスが並んでいた頃(平成20年3月2日撮影)

画像←現在の大型車は三菱ボディばかり(平成26年7月20日撮影)

 そして何よりも、車種が大幅に変わっていることだ。6年経てば当時の古参車が代替されているのは当然だが、特に大型車は富士7Eが全て消滅し、三菱ボディばかりとなっている。しかも、シャーシメーカーも日産ディーゼル→UDトラックス→三菱ふそうとめぐるましく変わっている。
 習志野新京成バス発足後、日産ディーゼルに西日本車体を架装したスペースランナーが登場した。中型車はいち早く導入されていたので、大型車も導入されるのは時間の問題だった。しかし、西日本車体は三日天下に終わり、すぐに三菱ふそうバス製造を架装したスペースランナーAに切り替わった。新京成電鉄の鎌ヶ谷営業所と習志野営業所では、伝統的に「日産ディーゼル+富士重工」を導入していたし、西日本車体の架装なら「昔の京成車体の流れを組んで…」と、勝手ながらも納得していた。それが、いきなり三菱ボディを架装するとは意外だった。しかし、三菱ふそうのエアロスターでなく、OEM供給を受けたスペースランナーAを採用したところに、日産ディーゼルに対するこだわりがある。なお、新京成バスでは富士5Eまで正面にメーカーロゴを付けていたし、社用車も日産ブルーバードやADバン、アトラスダブルキャブを使用していた。
画像←西日本車体を架装した日産ディーゼルPKG−RA274MAN。現在は鎌ヶ谷営業所に在籍(平成20年3月2日、自衛隊前で撮影)

 その後、習志野新京成バスの新車の大半と船橋新京成バス鎌ヶ谷営業所の富士7Eとのトレードがあり、一時は習志野新京成バスから西日本車体のスペースランナーが消滅してしまった。理由は不明である。
画像←赤バスには異色の中型ロング(日産ディーゼルKC−JP250NTN)も在籍していた(平成22年3月17日撮影)

 平成22年から再び新車の導入が再開された。車体メーカーが日産ディーゼルからUDトラックスに社名変更された。スペースランアーAに加えて、1台だけなぜか西日本車体のスペースランナーだった。しかし、UDトラックスのバス製造撤退を受けて、平成23年以降は三菱ふそう純正のエアロスターとなった。
画像←習志野新京成バス最後の大型新車となった三菱QKG−MP35UM(平成26年7月20日撮影)

 現在は、富士7Eの置き換えは完了したので、大型車の新車の導入はないと思われる。したがって、7月にマイナーチェンジした三菱エアロスターを見ることはできないようだ。当面は中型車の富士8E代替を図るために、エアロミディの増備が続けられよう。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
たいへんご無沙汰しておりました。やはり千葉のバスネタはうれしく読ませていただきました。私の職場のすぐ近くを習志野新京成バスが走っておりますが、このところの車種の変化には驚いています。今後の推移を見守りたいです。なお、ツーマンバスの昔話も楽しく読ませていただきました。私は小さい頃市川におりまして、自宅近くのバス停まで「しゃしょうさんのいるバスにのりたい!」と親にわがままを言い、国分経由の松戸駅東口行が来るまでバスを2本くらい見送って乗った覚えがあります・・・。
急行うち房そと房
2014/11/27 23:35
> 急行うち房そと房様
こちらこそご無沙汰しています。
ワンマンバスとツーマンバスが混在していた頃、ワンマンは前乗り、ツーマンは中乗りで、乗客は右往左往していたのが印象的でした。車両もこまめに変わり、雄鹿野経由は昔は中扉のツーマン専用車(4R82)、その後はワンマン格下げの2扉車が長く続き(4R104、4R105、U20L)、最後は3扉車も活躍し、津田沼口では冷房車(U31L)もいました。格下げ車は1年ぐらいで代替されていたようです。
家庭環境の変化により、本欄に千葉のバスが登場することはほとんどないと思いますが、これからもよろしくお願いいたします。
板橋バス太郎
2014/11/28 08:26

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