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zoom RSS 【HMC東京】大多喜の今

<<   作成日時 : 2011/04/18 21:50   >>

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 HMC東京では大多喜車庫を単なる折り返し場としているようだ。大多喜車庫での夜間留置がなくなり、いすみ市民号も茂原(HMC東京千葉営業所)から回送している。大多喜線は2両(2運用)、いすみ市シャトルバス1両で、最大で両2台しか並ぶことはない。現在は、構内に乗務員のマイカーは見当たらない。
 構内には3月27日のブログで記載したいすゞP−LV314Kの廃車体に加えて、用途を失ったいすみ市保育園バス3両とトヨタコースター1両が止まっている。これらはナンバーは付いたままだが、やがて廃車になる思われる。いずれもいすみ市の所有であろう。
 大多喜車庫がいつまで営業所だったのかは不明だ。営業所機能がなくなっても、いすみ市保育園バスやいすみ市民バスの乗務員は現地出退勤で、拠点であることには変わらなかった。平成11年12月23日に廃止された七本線(大原駅〜新宿〜七本)、御宿線(御宿駅〜新宿〜東駅)や、平成15年3月31日に廃止された大原線(大原駅〜国吉駅前〜大多喜駅)の車両も、大多喜車庫に留置されていた。また、大多喜線(茂原駅〜給田〜市野々〜大多喜駅)の最終や、平成13年10月1日から運行開始したいすみシャトルバス(増田橋〜刈谷中町〜茂原駅)も、大多喜車庫滞泊だったのかも知れない。
画像←大多喜に並ぶ用途を失った車両たち

 4月に入ってから、一時は富士重工を架装した都自動車カラーの貸切車が、ナンバー付きで3〜4両留置されていたが、これらも姿を消していた。いすゞ「ガーラ」と異なり年式が古いため、塗装変更されなかった。ただし、大型ショート車が1両のみ塗装変更されている。
 乗務員休憩所の近くに置いてある「御宿駅」のポールもそのままだ。御宿駅からは東(あずま)行と実谷中(じっこくなか)行が発着していた。また、「ワンマンバス折り返し場所に付 他車の駐停車はご遠慮願います 都自動車梶vの看板もある。どこの折り返し場に設置されていたか不明だ。いずれも「都自動車が走っていた」ことを物語る貴重な痕跡だ。
画像←御宿駅のポール

画像←ワンマンバス折り返し場用の看板

<なつかしの大多喜車庫>
画像←旧営業所の建物が残っていた頃の大多喜車庫。路線図が掲げられていた(平成18年7月29日撮影)

画像←旧塗装のいすゞP−LR312J(川重車体)。非冷房車で、車掌台があった。「東行」を表示。大原線が廃止された平成15年3月まで残っていた(平成11年12月19日撮影)

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コメント(4件)

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こんばんは。オレンジ塗装の都自動車、ひさびさに拝見して、とてもなつかしいです。
私が初めて大多喜を訪れてしばらくの間は、この建物が残っていました。もっと古くは道に面して屋根つきの車庫があって、道をはさんだ向かいにもバスを止める場所があったとの情報もあります。
急行うち房そと房
2011/04/19 22:35
> 急行うち房そと房様
こんばんは。貴重な情報ありがとうございます。
インターネットで「国土画像観覧システム」(昭和49年)を見ますと、確かに現在の折り返し場にガレージらしき建物が写っています。営業所の事務所と並んでいるか、あるいはつながっていたのかも知れません。また、斜め向かい側(元郵便局隣の空き地)に、バスが2台止まっているようです。最盛期は今のスペースだけではバスを収容できなかったはずで、営業所の廃止時に売却した可能性があります。
千葉バス太郎
2011/04/19 23:28
再度失礼します。「国土画像観覧システム」拝見しましたが、なるほどという感じがします。それにしても昭和49年とは貴重な画像で、他にも土気トンネルや千葉気動車区、茂原駅や大網駅などなつかしい写真を探して、それらを見て感動しました。
急行うち房そと房
2011/04/23 22:19
> 急行うち房そと房様
こんばんは。コメントありがとうございます。
私は「国土画像観覧システム」で、鉄道の駅やバスの車庫などを検索しています。
当時とほとんど変わらない所、全く変わってしまった所と様々ですね。自宅(団地)も探しましたが、まだ造成中でした(涙)。
旧大網駅の駅舎やホーム、跨線橋、転車台などがそのままあります。今も残っているのは、元駅舎側の数本の保守基地線(元貨物側線)と保線区(現・大網保線技術センター)ぐらいですかね。あとは買い手のつかなかった広大な空き地と化し、今でも残る「国鉄精算事業団」の看板が哀れで、まさに「つわものどもが夢の跡」です。
千葉バス太郎
2011/04/23 23:17

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